自分の中に幸せを持て
こんにちは!勇汰朗です
岡本太郎さんの著書のようなタイトルだが、今回の内容は真逆と言ってもいい。
岡本太郎さんは著書の中で「平凡な日常を幸せだと自分に言い聞かせてるんじゃないか?」と書いている(要約しています)。でもそれで良いのだ@
むしろ日常の中に幸せを見つけるべきだと私は思う。だってそうではないか!条件を作ってはいけないのだ。岡本太郎さんも著書内で語っている。でも、岡本太郎さんは成功したから幸せになれたのだ。成功が条件になっているではないか。夢に向かってチャレンジすることは素晴らしいことだが、成功が条件になってしまっていることを忘れてはいけない。例えば、有名人になりたい、スポーツ選手になりたい、タワーマンションに住みたい、高級車に乗りたい、世界一周したいなどなど全部成功が条件じゃないか!だからこれを幸せと捉えてはいけない。前述したが大きなことにチャレンジすることは良いことだが、幸せは自分の中、生活の中に見つけるものなのだ。愛する家族がいる・自然の中に住む・好きな音楽を聴く・芸術に触れる・お気に入りの服を着る・好きなカフェやレストランを見つけるなど日常生活の中の自分の幸せを見つけるのだ。その一方でチャレンジすれば良い。夢にチャレンジして失敗して不幸だと思って一生生きることはもったいなさすぎる。運や才能やお金などが条件になってしまうことを幸せのゴールにしてはいけない。
自分の中に幸せを持て。
読者はまだゼロだと思うので、次回公開は未定にします。書きたくなったら書きます。別の執筆もしたくなってきたので!ではまた次回!
アナログ回帰
昨今、5GやAI、IoTが進む中、徐々にでも無意識のうちにアナログ回帰が始まっているように思う。
まず前提としてデジタル化は情報処理に他ならない。世の中的にものに溢れ、技術開発がコアにコアになっていって、そのままでは経済が回らないから、デジタル化、IoT化によって付加価値をつけようとしている。それによって、手間としても時間としても楽になっているが、決して幸せにはなっていっていなように感じる。それもそのはずで、何もしていないのに楽しいと感じるわけがないのに、幸せになるはずもない。また、情報処理といった性質上、いつか飽和状態になるのではないかと考えられる。
そういったことを知ってか知らずか、アナログ回帰が始まっている。例えば、キャンプを火おこしからやったり、純喫茶を通り越して古民家カフェに行ったり、フィルムカメラ、レコード、観葉植物などアナログで手間のかかることが若い世代に見直されている。これは人間にとって当たり前のことで、デジタルは何も生み出さないし(物理的に)、人がデジタルの中で生きられるわけでもない。いつか脳がデジタルに置き換わるのであれば、可能性が無限大になるので、幸せも作れるのかもしれないが、そんな未来が訪れるのだろうか。
話がだいぶ逸れてしまったが、生活を楽しむというアナログ回帰によって幸せになっていこうという話。
昨日更新の予定であったが今日になってしまった。まだ読んでいる方はいない気がするので、ご愛嬌ということで次回からはしっかりと予定通りにいきたい。次回は12/2(木)までには公開します。
もう12月ですか。冷え込むわけですね。あったかくして過ごしましょう!
とげのあるはなし
比較的最近できた男3人グループがある。年齢も違ったり会社も違うので気兼ねなく話すことができる。縁で繋がったのかなとありがたく思う。
その3人ではよくご飯に行ったり、レジャーに行ったり1番最近ではグランピングにも行った。
その中のTさんがある女性を好きになった。その女性は5歳になる子供がいて独身なのだが、離婚して1人なのか未婚にまま出産したのか、Tさんとの関係性的にもまだそこまで踏み込んだ質問はしてないらしかった。こういった話を会うたびにうまくいっているのかと応援しながら聞いていたのだが、ある日、3人グループのもう一人のNさんと2人で話していた時に、Tさんとその女性でデートに行くらしいと話をしていたら、Nさんが「相手はコブ付きなのにすごいね」と言っていて、その場では聞き流したが、私はコブ付きという言葉に腹が立ち、あっという間にNさんのことが嫌いになった。コブ付きは結婚前の女性が子供を連れていることを外見的特徴に揶揄する言葉で、その言葉を使ったということよりも他人の身の上を想像することができない人間なのだと軽蔑してしまったのである。だって、1人の女性がどんな思いで子育てしているか、どんな苦労や葛藤があるのだろうかと一瞬でも想像したら、「コブ付き」なんて言葉が出てくるはずもない。以前から女性を軽視する傾向を若干は感じていたのだが、今回のことで私は無理だと思ってしまった。私の感覚は間違っているのだろうか?Tさんに伝えるべきなのだろうか。わけあって、この3人グループはもう少しで離れてしまうことが決定していたので、私が告げなければ、円満かもしれないが、私とNさんが2人だけの時に言ってきたので、言わない方がいいと思ってるのって果たして円満と言えるのだろうか?
こんな話を話せる相手が周りにいないのでここに書かせていただきました。全くもって面白い話ではないですが、さらっとでも読んでいただける方がいると嬉しいです。
では、次回は28日中には公開したいと思っています。それでは!
ごあいさつ
こんにちは、勇汰朗です。
ある程度歳を重ねてきて、悩み方や悩む内容、解消方法など変わってきて、近しい考え方の人が周りにあまりおらず、唯一の合う親友がいるが、物理的な距離が遠く、しょっちゅう電話するわけにもいかず、一人で漠然と考えていても考えがまとまらないので、今回ブログに書いてみようと思い立ちました。そうすることにより視覚化されるので、客観視できて良いのかなと思っています。また、そんな私の考えが読んでいただいた方の一輪になれたら僥倖です。
内容としては、雑記です。日記ではないので不定期更新になります。思ったこと、考えたこと、感じたこと、体験したことなど書きたいと思ったことを書いていきます。なので皆さんも思い思いにコメントを寄せていただけたら幸いです。
雑記にはなるのですが、タイトルからもなんとなく察しがつくようにポエミーな表現を使ったりしますが、ご容赦願います。
ここまで読んでいただいた方がいるのかわかりませんが、このように思い付いたまま書いて、体裁を整えず、そのまま出します。なるべく気楽に続けられればと思いますので、感覚的に大丈夫な方は同じように気軽に読んでみてください。合わない人は頑張って読んでください。
ふと思ったのですが、絵文字とかを使った方が良いのわからないので、そのあたりも含め色々と手探りでやっていきたいと思います。あとここでは敬語で書きましたが、そこも書きながら考えていきます。
次回から本編になります。更新予定は25日中です。
では、これからよろしくお願いいたします。